Hiro remembers
Hiro が初めて“魚が部屋を整える”のを感じたのは、たぶんタイでした。大皿に一尾、姿のまま載って出てきたとき、 まだ誰も箸をつけていないのに、もうその場の背筋が少し伸びていた。魚が礼儀になるとは思っていなかった。
タイにはそういうところがあります。見た目がきれいなだけではない。 そのきれいさに、日本人が「今日という日はちゃんとしている」と感じる力がある。 祝儀、門出、あいさつ、少し晴れた気持ち。タイはその全部の代理人みたいな顔をしています。

タイは、見た目だけで「今日はちゃんとした日だ」と思わせる魚です。 赤い。端正。めでたい。しかもそれが言葉遊びだけで終わらず、本当にうまい。 だから日本では、タイが出てくると席の空気が少し整います。
祝い膳
赤き鱗に
春の光
Celebration tray—
spring light caught in red scales
before the first toast.
Hiro が初めて“魚が部屋を整える”のを感じたのは、たぶんタイでした。大皿に一尾、姿のまま載って出てきたとき、 まだ誰も箸をつけていないのに、もうその場の背筋が少し伸びていた。魚が礼儀になるとは思っていなかった。
タイにはそういうところがあります。見た目がきれいなだけではない。 そのきれいさに、日本人が「今日という日はちゃんとしている」と感じる力がある。 祝儀、門出、あいさつ、少し晴れた気持ち。タイはその全部の代理人みたいな顔をしています。
「“めでたい”からタイなんですか。それともタイだから“めでたい”んですか。」
いい質問です。しかも、こういう質問はみんな大好きです。答えの途中でたいてい酒が追加されるから。
「どちらでもいい。本当に良いタイなら、食べれば納得する。」
親方の言い方はいつもこうです。縁起も文化も否定しない。だが最後は味で決める。 それが寿司屋のやり方です。タイはきれいな魚です。けれど、きれいだから選ばれるのではなく、 きれいで、ちゃんとうまいから席に残る。そこにこの魚の強さがあります。
「タイが出るとね、みんなちょっとだけいい人みたいな顔になるの。」
たぶん本当にそうです。タイは食べる前から人の姿勢を整える魚です。 祝いの席にぴったりなのは、味だけでなく、人を“ちゃんとした気持ち”にさせるからかもしれません。
タイが日本文化の中で強いのは、色、姿、言葉、食味が全部同じ方向を向いているからです。 赤い。美しい。めでたい。しかも白身魚としての上品さがある。こういう多重一致は実は珍しい。
だからタイは species でありながら、一種の文化装置でもあります。単なる“人気魚”ではなく、 日本人が席や季節や儀礼に何を求めてきたかを映す魚なのです。
タイは海の中だけにいる魚ではありません。祝いの席、写真の中、ことばの中、贈り物の中、 「今日を少し立派にしたい」と思う日本人の気分の中にも住んでいます。
fish.co.jp では、タイを「上品な白身魚」とだけ書いて終わらせてはいけません。 タイは、日本人が魚にどれほど意味を重ねてきたかを示す代表例だからです。