Hiro remembers
Hiro にとってアジは、魚の教科書というより港の会話です。 朝、まだ空気が冷たいうちに上がってきて、昼には誰かのまな板に乗り、夕方には定食になっている。 つまり、遠い海の魚ではなく、人の手の近くで暮らしている魚。
だからアジには、どこか顔なじみの感じがあるのです。あまり偉そうではない。 でも、ちゃんと見る人にはちゃんと報いる。港と同じです。飾らないけれど、よく知るほど味わいが出る。

アジは、港の空気がそのまま魚になったような存在です。身近で、親しみやすく、ちょっと地味に見える。 でも、うまいアジに出会うと人は妙に黙る。つまり、正直な魚なのです。
朝の港
小さき銀の
目がそろう
Harbor light at dawn—
small silver eyes all aligned
before the day starts.
Hiro にとってアジは、魚の教科書というより港の会話です。 朝、まだ空気が冷たいうちに上がってきて、昼には誰かのまな板に乗り、夕方には定食になっている。 つまり、遠い海の魚ではなく、人の手の近くで暮らしている魚。
だからアジには、どこか顔なじみの感じがあるのです。あまり偉そうではない。 でも、ちゃんと見る人にはちゃんと報いる。港と同じです。飾らないけれど、よく知るほど味わいが出る。
「アジって、なんだか“いいやつ”みたいな魚ですね。」
その表現に、カウンターの何人かがうなずきます。魚に人格を与えすぎると教授が嫌な顔をしますが、アジにはたしかにそういうところがあります。
「いい魚ではある。だが、雑に扱うとすぐに“ただの魚”になる。」
親方の言い方は厳しい。でもその通りです。 アジは親しみやすいぶん、ごまかしの効かない魚でもあります。地味に見える魚ほど、腕がいる。
「アジはね、“普通でしょ”って言いながら、あとでいちばん話に出ることが多いの。」
アジは文化的に非常に重要です。高級魚としての特権ではなく、日常性、沿岸性、流通のしやすさ、 そして多用途性によって、日本の海辺の食文化を支えるからです。つまり“普通であること”自体が文化価値なのです。
アジは、派手な魚ではありません。でも、だからこそ海の近くの暮らしがよく見える。 港、魚屋、定食屋、家庭の台所、夜の酒場。アジはそういう場所のあちこちに自然にいます。
fish.co.jp では、アジを“定番だから説明不要”の魚にしてはいけません。 むしろ定番であることの豊かさを見せる魚として、大事にしたい species です。